2013/09/08

「カフカ 夜の時間」(高橋悠治) を読んで

高橋悠治は、音楽家で、文章も書きます。
文章は、ひらがなが多いけれど、短くて鋭いから、読むのが楽しみ。
最新版だから読み終えてしまうのはもったいないと思っていたけれど
結局読んでしまった。

ピアノ全体をつかってできることにくらべて、たった四つの音をつかてできることの方が、どんなに自由であることか。ふくざつな十六ビートのノリより、一ビートの不正確さの方が、どれほどからだにとって衝撃的か。
 一九六四年ベルリンから、自分のやってきたことをふりかえってみると、こんなにかんたんなことがわかるだけに、ほとんど一生の半分以上かかるのだ。


グレン・グールドは五十歳で死んだ。いまの五十歳といえば、まだわかい。だが、かれの死ははやすぎはしなかった。
 かれだけではない。だれが死んだって、やりのこしたしごとなどないだろう。しごとの意味の方がさきに死んでしまっている。どこかでそれとしりながら、しごとをつづけているのが、いまの音楽家の運命だ。

いつも彼は知的な書きぶりをするのに、こうした書き方がところどころに見られて、彼のたたかってきたものがわかってきた。

彼のひくゴルトベルクをはじめてきいたとき
この不ぞろいな音の粒をならべるのに
どれだけ苦悩したのだろうと想像をするだけで辛くなって
プレーヤをきってしまった。

それでもきくうちに、演奏のよさがわかったきたつもりだったけれど
やはり苦しかったのだろう。


本は、読みきってさびしいかと聞かれれば、まださびしくない。
いまの僕にはわからないことがあるから
じかんをあけて、また彼にひっくり返されてみようと思う。





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